『千歳くんはラムネ瓶のなか 4』再読─夢と漢字とひらがなと。〜BGMを添えて〜─
あの夏は今、終わったから。
この夏がいま、始まる。
だって、きっと雨は止んだから。
今回はこちら、
『千歳くんはラムネ瓶のなか』の4巻再読したので少しだけ語らせてください!!
【雨と音楽】
さて、この作品で"雨"が印象的な巻というと2巻と3巻が挙げられると思いますが、私は4巻まで雨は降っていたと思います。人それぞれで解釈のしかたは違うと思いますので「ふーん」って流していただければ幸いです。なぜそう思うのかだけ先に述べますと私は雨=涙なのでは? と睨んでいるからです。(3巻でそんな描写があるのは内緒)
1巻で山崎健太、2巻で七瀬悠月、3巻で西野明日風、4巻で青海陽、千歳朔が涙を流しています。
それでですね。2巻、3巻再読のときの自分何してんの?って思ったことがありまして……。
『Singing in The Rain』と『Rainy Days And Mondays』というふたつの曲が千歳朔の家のチボリから流れます。この作品は音楽で間接的に、でも芯を捉えて離さないなにかを託していると思っています。そのときの登場人物の心情がそこにある気がします。上を見上げたらそこにある空みたいな??
と、脱線はよしてですね。このときにいたのは千歳朔と七瀬悠月のふたり。どちらかがどちらかの曲にあてはまるのでは? と考えます。前者が七瀬悠月で、後者が千歳朔なのではないでしょうか。七瀬悠月が雨に打たれていたとき千歳朔は「風邪ひいちまう」と傘で雨を遮ります。この時点ではどちらも雨に否定的というか、いい感じを持っていません。でも、エピローグで七瀬悠月はこう言います。
だから本当は、とめられない気持ちをさっさと恋って名前で呼んであげればいい。(P.359)
だからなんだと、『Rainy Days And Mondays』という曲にこんな歌詞があります。(訳し方はいろいろだと思いますがピンときたのがこれ!!)
前にも、こんな感情が私の中で
浮かんだり消えたりしたわ
だからといって
それを口に出して言う必要もない
だって 何も言わなくても
わかるでしょう(『Rainy Days And Mondays』)
カーペンターズを読む 『Rainy Days And Mondays』 - 向かうところ敵なし
2巻のプロローグが思い出されませんか? ないか?
悠月の心のなかには太陽があり、千歳朔はまだ雨に打たれ続けています。
とか言ったけど4巻のあとに3巻ペラペラ読み返して見つけてしまった……。
たとえば土砂降りのなかで傘を閉じて素敵に唄い出す紳士のような〜(3巻 P.12〜13)
雨の日は嫌いだ、と昔は思っていた。
そうでもないな、といまでは思う。(P.12)
って出てくるんですよね。まさしく前者は『Singing in The Rain』ですやん。
でも!! P.39のビニール越しの空を見上げながらのところはニュアンスが少し違うように思います。千歳朔にはまだなにかがあるんだと。完全にではないけど〜ってかんじですかね。たぶん。
4巻では千歳朔の心のなかの太陽が、そこにあった太陽がメラメラと再び輝き始めましたね。半分だけど……。いつか空一面に輝くきれいな太陽の笑顔がみれるのでしょうか。
そういえば、雨が似合う女子がいたよなぁ(SS読めてない雑魚)
【夢と音楽】
はい! 次行きます!
『千歳くんはラムネ瓶のなか』を語る上でというか、この作品これ大事にしてんじゃないの?っていう言葉のひとつが"夢"です。それを語る上で前に明日風のSSについて書いたやつあるのでそれも読んでいただけると少しは伝わるのかなと。下に載せときます。
『千歳くんはラムネ瓶のなか』と古いJ-POP、その他の考察 - みうみんのラノベ(深読み)屋さん
夢と言っても"眠ってるときに見るもの"とか"将来実現させたいと思っていること"とか"現実からはなれた空想や楽しい考え"などがあると思いますが、めちゃくちゃ大事なのは後者ふたつですかね。
「夢はもう見ないのかい?」(2巻 『拝啓、少年よ』Hump Back)
「夢からさめてしまわぬように」(3巻 『夢からさめてしまわぬように』Syrup 16g)
「夢から覚めたら忘れないように」
「夢から覚めても」
4巻 『エバーグリーン』サイダーガール)
この歌詞たちは各巻のメロンブックス特典である秘密のヒロインブックカバーに書かれてあるものです。偶然なのでしょうか? SSでも夢について書かれてあるものもあります。
あの夏を終わらせた千歳朔は、何を追いかけて、どこに向かって進むのでしょうか?
【"今"と"いま"】
これすごく気になってたんです。めちゃくちゃでてくるんですもん! なんで漢字とひらがな使い分けてんの? って。たぶん……いや! 絶対これわざとです!(言い切ったが内心汗ヤバい)
過去と現在って感じでどこか距離を置こうと言う表れなのか、区切りというか踏ん切りというか。
あのとき、今をあがけなかった自分に向けた言葉。
今をあがき続けているあいつにおしえてもらったこと。(4巻 P.346)
この4巻の文を読むとわかりやすいかもしれません。今から目を逸らした千歳朔、反対に劣等感を抱きつつも今をあがき続けている青海陽。
【"まぶしい"と"眩しい"】
このふたつも使い分けされている気がします。
「俺もあいつがうらやましくて、まぶしくて、痛いよ」(2巻 P.287)
2巻に柊夕湖について話す千歳朔のこの言葉は、ひらがなです。でも、4巻の最後の青海陽への言葉は漢字なんです。ここもニュアンスが違うのかなと。
青海陽のほうがやさしい感じがします。
【織姫と彦星】
4巻で七夕の描写がありましたね。
「私たちは織姫と彦星って柄じゃないね」(P.210)
と青海陽は言います。
ちなみに、織姫と彦星はそれぞれ、
*織姫:裁縫をつかさどる星(こと座のベガ)
*彦星:農業をつかさどる星(わし座のアルタイル)
の象徴とされています。
話はこんな感じです。
天の神様の娘「織姫」はそれはそれは美しいはたを織っていました。神様はそんな娘が自慢でしたが、毎日化粧もせず、身なりに気を遣わずに働き続ける様子を不憫に思い、娘に見合う婿を探すことにしました。
すると、ひたすら牛の世話に励む勤勉な若者「彦星」に出会います。この真面目な若者こそ、娘を幸せにしてくれると思い、その若者を娘の結婚相手に決めました。
そんな二人は毎日仲睦まじく暮らしましたが、これまでとは一転して遊んで暮らすようになり、仕事を全くしなかったため、天の服は不足し、牛達はやせ細っていきました。神様が働くように言うも、返事だけでちっとも働こうとしません。
ついに怒った天の神様は、織姫を西に、彦星を東に、天の川で隔てて引き離し、二人はお互いの姿を見ることも出来ないようになりました。
それから二人は悲しみにくれ、働こうともしなかったため、余計に牛は病気になったり、天の服はボロボロになっていくばかりです。
これに困った天の神様は、毎日真面目に働くなら7月7日だけは会わせてやると約束をすると、二人はまじめに働くようになりました。
こうして毎年7月7日の夜は織姫と彦星はデートをするようになりました。
7月7日に降る雨のことを『催涙雨』と言い、
これには様々な捉え方があります。
その中でも最も一般的なのが、
「年に一回の機会に会うことが出来ずに悲しむ織姫と彦星が流す涙」
というものです。
この悲しいエピソードとは別に、
「雨の氾濫で天の川を渡ることが出来ないが、“かささぎ”の群れが橋となり、二人は会うことが出来た」
という話も有名です。
よく分かる七夕伝説|織姫と彦星の物語・催涙雨について – 明日のネタ帳
織姫と彦星は結ばれます。でも、青海陽と千歳朔はそんな柄じゃないねと言います……ああ!!もう!!
と、興奮してしまいまひたてへ。
夏の大三角とも4巻で出てきますがはくちょう座のデネブだけなんか仲間はずれ感がありませんか? そこで気になり調べたらデネブが"かささぎ"だといわれていることがわかりました。(恋のキューピッド的な)しかも、一番明るいのはベガですが……
ベガは確かに情熱的で美しい。でもそれは見せかけの輝き。本当に美しいのは、情熱を内に秘めて光るデネブのほうかも。
どんなことでも、一面だけ見ていては、真実は決してわからない。多角的に深く見なくちゃいけないってことなんだ。
夏の大三角 その2 ~アルタイルとデネブ~:達人に訊け!:中日新聞Web
そう。地球からみたみかけの明るさであってデネブが一番かもしれない。
「ありがとう、私に気づいてくれて」4巻(P.45)
しかもこれはこじつけ妄想なのですが、今の暦でいくと7月7日ですが、
もともと七夕の行事は、7月7日といっても現在使われている暦ではなく、旧暦など太陰太陽暦の7月7日に行われていました。これは、月齢およそ6の月が南西の空に輝く夏の夜になります。現在の暦での7月7日は、たいてい梅雨のさなかで、なかなか星も見られません。そこで国立天文台では2001年から「伝統的七夕」の日を広く報じていくことにしました。
太陰太陽暦は、明治6年に現在の暦が採用されるよりも前の暦で、現在は公には使われていません。このため、伝統的七夕の日は、太陰太陽暦による7月7日に近い日として、以下のように定義します。
二十四節気の処暑(しょしょ=太陽黄経が150度になる瞬間)を含む日かそれよりも前で、処暑に最も近い朔(さく=新月)の瞬間を含む日から数えて7日目が「伝統的七夕」の日です。
と調べたらありました。この記事見るとですね。チラムネがスタートした2019年の伝統的七夕は8月7日なんですよ!!
チラムネ5巻は8月の話なはず。しかもなにかが変わる夏になるという。これ!! 来たんじゃない?? ないか……。
以上!! 大雑把ですがまとめました!! どうかな? 言葉にどれだけのおもいが込められてるか、少しでも気づけたかな。
ちゃんと終わらせたあとには、ちゃんと始まりがやってくる。
新しい夏は、サイダーの泡みたいにはじける女の子の汗が連れてきた。
夏はちゃんと始まって、ちゃんと終わる。
終わったときにいるのは誰なんだろう。