みうみんのラノベ(深読み)屋さん

基本的に読んだラノベについて感想などを記録の意味も込めて書こうかなと。深読みもする。

『千歳くんはラムネ瓶のなか 2』再読─寓話と、童謡と箱男。それとハレの日ケの日。─

  なぁ、雨はやんだか?

 

 

 

どうも! ラブコメに恋をしたみうみんです!

 今回はこちら、

 

千歳くんはラムネ瓶のなか 2 (ガガガ文庫)

千歳くんはラムネ瓶のなか 2 (ガガガ文庫)

  • 作者:裕夢
  • 発売日: 2019/10/18
  • メディア: Kindle
 

 

 

電子書籍がいいという方はBOOK☆WALKERの載せておくので良ければ読んでみてください!!

千歳くんはラムネ瓶のなか 2 - ライトノベル(ラノベ) 裕夢/Raemz(ガガガ文庫):電子書籍試し読み無料 - BOOK☆WALKER -

 

 『千歳くんはラムネ瓶のなか』の2巻についてです! 

 再読しました! いや時間かかってしまった。なんとか今日1日かけて読み終えたんですけども、この巻面白いです。4巻まで読んで2巻に戻ってくると「ここがあそこの伏線か!」と再確認できたし、「ここはまだ触れないのか」って息を漏らしたり。

 

 と、すこし語らせてください。

 

 

【ハレの日ケの日と箱男

 2章の題名にもなっている『ハレの日ケの日』。発売当初は祭りの非日常感と日常の対比を書いてんのかぁって思ってたんですけど、読み返したらこの巻の全体にかかってるのかな? って思いました。この言葉が。千歳朔にとっての図書館とか。

 

「まあ正気でも失ってないかぎり、単純バカのパンチ食らったりしねーけど」

「あんなひょろっちーヤンキーのパンチなんて当たるもんか」

 

 海人に言われたことへの返しと、コケッコーとの話とか。誰かに幻想抱いて勝手に期待して失望して安堵するところとかいろいろ。

 

  それともうひとつ、『箱男』についてです。

 明日姉の「君の生き様には、いつでも誰かがいるようで~」や視点や人称が変わる点のみならず、「見る」「見られる」「覗く」「覗かれる」、ストーカー、プロローグとエピローグにまでこの『箱男』という作品がかかっているのではないかと思ってしまいました。

 

 

 で、一番書きたいのはこれではない!! 次の話です。BGM感覚で読んでください。

 

 

【寓話と童謡】

 三章の悠月と朔の屋上での話。そこで『千歳朔の昔話』と『てるてる坊主』、『あめふり』という話と童謡が出てくるんですけど、まぁこれが2巻ですごい印象に残るというか、不明な点が多かったのですが改めて読んで自分なりに解釈まとめました。いかようにもとれますからね。BGMですから。

 この話をする前にひとつ提示したいことが。

 平安時代以降「七瀬の祓」というものがあったらしいんです。吉日を選んで、天皇の災禍を負わせた人形を七人の勅使の手で加茂七瀬などの七つの瀬に持って行き、祓をして流したらしいです……ということが七瀬悠月と少しはかかってる? と思うことを前提に話をします。

 幼稚園のころに先生としたゲームで、無理矢理仲の良かった男の子を助けようとして逆に男の子に大恥をかかせてしまい口をきいてもらえなくなる始末。でも次の日はハンカチ落としをみんなで輪になってしてた。誰かは鬼を見つけられないけど、誰かは鬼を見つけて、誰かがまた鬼になるその繰り返し。

 そんな話を朔がしていると「ミュージカル映画なら、素敵な曲のひとつでも流れる場面だね」と悠月は流した。それに朔は『童謡』を唄うことでこたえる。そのときの童謡が『てるてる坊主』と『あめふり』でした。

 

『てるてる坊主』

 「あ〜した天気にしておくれ」と唄ったことがある方が多いと思います。ですが、てるてる坊主の3番が少し怖いのです。

 

それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ

   こんな感じです。

 てるてる坊主で晴れを祈る風習は、平安時代に中国から伝わったらしいのですが、中国では「坊主」ではなく、箒を持った女の子である『晴娘』という名の少女にまつわる伝説がその起源といわれています。

  遠い昔、雨が降り続いて困っていたとき、天から「その美しい娘を差し出せば晴れにするが、差し出さなければ都を水没させる」と声がしました。人々を大雨から救うため、少女が犠牲となり天に昇ると、空は雨雲を箒で掃いたように晴れわたったといいます。切り紙の得意だった彼女を偲んで、娘たちは紙で『掃晴娘』を作って吊るすようになったらしいです。

 日本では、天候の祈祷をする僧侶に因んで「坊主」になったのでは? といわれ、こんな伝説もあります。

 

 昔、降り続く雨に困っていると、ひとりのお坊さんがやって来ました。お経を唱えてもらえば必ず晴れることで有名なのだといいます。そこで殿様の前でお経を唱えてもらいましたが、次の日も雨は降り止みませんでした。罰として、お坊さんは首をはねられてしまいます。その首を白い布で包んで吊るしたところ、次の日はよく晴れました。

 

 これがてるてる坊主のはじまりだといわれていたりします。

 

 ここまででも怖いのですがもうひとつ、『てるてる坊主』は4番まであったらしいんです。でも、作曲者が消して3番までになったそうな。しかも実は消されたのはもとの1番らしい。現3番と同様に「晴れない」結果だったとか。

 

元の1番

てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
もしも曇って泣いてたら 空をながめてみんな泣こう

 

 

 なんで残酷な対応のほうが残されて、穏やかな方が除かれたのか。

 一説には「首を切る」という表現には「虫をちぎるなど残酷な一面をもつ子供の特性」を表しているとも、「願望を通そうとする権力者の暴力」という意味が潜んでいるともいわれています。

 昔の子供なんて天気予報とかないから必死にてるてる坊主にお願いするしかなかったのでしょう。でも、いまの自分たちもそこまで変わらないのではないでしょうか。

 自分に都合の良い方にもっていこうとしたり、必要以上に傷つけたり。

そんなリアルな感情を読み取れるのではないでしょうか?

 

『あめふり』

 この童謡もまた少し不気味な都市伝説があったりします。それは興味ある方リンク載せるので読んでみてください。

音楽の都市伝説:童謡『あめふり』の怪 - 耳マン

 

(3番)

あらあ あのこは ずぶぬれだ やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン

(4番)
かあさん ぼくのを かしましょか きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン

(5番)
ぼくなら いいんだ かあさんの おおきなじゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン

 

 

 この歌は、病弱の母親が日に日に衰弱していき、自分の子供(少女)に傘をさしてあげられなくなる=亡くなる、という意味が込められているという。

 これもまた事実かわからない話だが、母を失ったこの少女は、雨が降ると傘も持たずに外に出るようになった。「雨の日に外に出れば、また母親が傘差しに自分に会いにきてくれる」、そう思ったから。しかし、当然ながら母に会えるはずもない。また、少女に追い討ちをかけるように、周囲には母親に傘をさしてもらい、手を引かれる同年代の子供たちが目に映る。

 それからある豪雨の日、ずぶ濡れになっていた少女に、「ぼくのお母さんの傘いる?」と声をかけた同い年ぐらいの子供がいた。だが、少女は手を繋いでもらっているその子供に対し、嫉妬の念を抱き、何も言わずに走り去ってしまった。一目散に走った少女は、不幸にも足を滑らせて川に落ちて死んでしまった、という。

これらの話を踏まえると、3番の歌詞に登場する“柳の下でずぶぬれの子供”は、母を亡くした少女を指しており、そして4番と5番の歌詞の“ぼく”は、少女に傘を貸してあげようとした子供のことだと推測できるらしい。そして、少女は嫉妬心、つまり恨みを持ったまま、不慮の事故で亡くなってしまったと。

 

(悠月を追い詰めた先輩の名前は柳下……)

 

  千歳朔の寓話のような昔話、ふたつの童謡について話しましたが何が言いたいのかというと、「千歳朔が七瀬悠月に向けたものであり、千歳朔自身にも向けたものではないか」「柳下は間違った選択をした場合の千歳朔と七瀬悠月の成れの果てなのでは?」ということ、2巻の展開的にこのことが意識せざるを得ないということです。

 昔話のなかの相手のことを考えずに行動した朔くんと「朔が傷ついていい理由にはならない(七瀬の祓は朔にも言えること)」 という夕湖、優空だけど傷つくほうを選ぶ朔、優越感に浸っていいことしたと思っている独り善がりの『あめふり』のぼく。蔵センが登場して思い通りにならない柳下、思い通りにらないと首を切るという『てるてる坊主』。そして断れないことを知っていて助けを求めた汚い悠月。

 

「人生から逃げ出して他人も巻き添えにしようとしてるあんたより、歯ぁ食いしばって真っ直ぐ生きようとしてる人間のほうが百倍素敵だ」(P.328)

 

上の千歳朔の言葉より、

それでも七瀬悠月は振り切った。千歳朔はいろいろ考えて先に手を打ったが、振り切ったように見えて内田優空に首を刺さ……してるのでまだなにかありそう。

 

 ここでも足踏み状態の人と前に進んだ人っていう対比があってうわぁーってなりました。

 

以上が今回の考察的なものになります! うんわからん!!

 

 

【おまけ】

 「きっと、夏の日の縁側で唄う風鈴みたいなものだよ」(P.140)

 

 という西野明日風のこれ。空  もそうだなと思う。太陽が月がっても思うけど、それは空があるからで、空が気持ちを返してくれるから。いかようにもとれて解釈の余地ばかり飽和して、選択の余地をもたない、そんな感じ。

 

「―――親、学校、部活、友達、将来。―――」(P.326)

 

 っていう柳下とやりあってた時の千歳朔の言葉。チラムネで辿ってきたこと? って思った。思っただけ。だとしたら残りは?

 

 

 駅前の広場のモニュメントとしてシンボルになっている恐竜にいつかニックネームをつけようと考えている千歳朔。その名前が「のっぽ」と「チビ1」、「チビ2」。それで思いついたのは『アブラハムの子』っていう童謡だったりしたっていう戯言。

 

 

 はい! ほんとに終わりです!! いやー他にも言いたいことあるけど他の方も言ってそうだしいいや!

 

 またお会いしましょう!