『なぜチラムネなのか』それとガガガラノベについて。
今回もチラムネについてなのですが、今回はちょっと変わった話になります。めちゃくちゃ短いです!
突然ですが……
「なんでこの人ここまでチラムネ好きなんだ?」「なんでチラムネなんだ?」と思っている方がいると思います(なぜそう思った?)
そこで、今回はその辺について自分の記録としての意味も込めここに記します。
なぜチラムネなのか
端的に言うと、
「この作品なら、この作者なら見たい景色まで連れて行ってくれる」
と思ったからです。
なんででしょう。自分でもよく分からないのです。 タイトルとイラストに惹かれ、裕夢先生の為人を少し垣間見て、全部通して「あっ」っと今までに感じたことのない、衝撃と言うには優しい〝もの〟が胸を打ったのです。
少し話がとびますが こちら『 妹さえいればいい。』という作品の7巻目になります。
この巻を読んでいた当時私は、非常に苦しんでいました。どうすればいいんだろう。どう生きればいいんだろう。自分はどういう人間になりたいんだろう。そんな支柱、バックボーンもなく自分でもよく分からないループにハマっていました。そんなある日に、この作品のこの巻に出会いました。運命的な何かを感じてしまいました。この巻に登場する"関ヶ原幽"という作家に、この人が歩んだ人生に、見せてくれた背中に、彼女が残した言葉に強く心打たれました。そしてどこか私は救われたのです。「この人みたいになりたい。優しい人でありたい。一人でも多くの人の支えになりたい」と思いました。
そして、『千歳くんはラムネ瓶のなか』の1巻が発売された当時にも私は自分をまた見失っていました。正確には見えているのに、目を背け正しいのかどうかを気にしていたのです。ほんと私は弱いなって思います。でもそんな時にライトノベルが、言葉がそっと優しく背中を押してくれるのです。チラムネの主人公の"千歳朔"くんの言葉が染みました。社会の怖さとか大人の醜さとかそんな見たくないものを目にした、知ってしまったあの頃の自分。そんな日の自分に朔くんの言葉は鼻につくどころか……裕夢先生の言葉を借りるのであれば応援歌、そのものでした。
今こうして夜空に浮かぶ月を「綺麗だな」って見上げていられるのはチラムネのおかげです。
よく「物語の登場人物のようになりたい」と物語の登場人物は言いますよね(現実であまり目にしない)。それがまさか……自分にもそんな日が訪れるとは……
言葉の持つ力に意味に涙したあの日を私は今も覚えています。この話を本読まない人とかに言っても「こいつ何熱くなってんの?」って目で見られて終わりなんですけどね。でも実際そう思ってしまうほど凄い作品に出会ってしまったんですもん!!
好きなものを好きって言って何が悪い?言えることがどれだけ幸せなことか。
妹さえに通ずるなにかをチラムネにも感じてしまったのだろうか……
閑話休題。
ラノベをがっつり読み始めてからまだ3年くらいしか経っていないので0年代、10年代前半などの素晴らしい作品を知らない、読んでいないということもあると思います。ラノベ読みさんたちのように数も読んでないし、長年見てきたわけでもないです。ましてや深く読むことも出来ませんし、正直あの時にラノベに出会っていれば…… と思う日が多々あります。
それでも今、この作品が1番だということには変わりありません。
『千歳くんはラムネ瓶のなか』3巻まで読んでもこの気持ちは変わっていません。言葉っていいなって思えました。
誰かが勝って、誰かが負ける。
そんなあたりまえのことを平然と言ってのけた裕夢先生が、どんな景色を見せてくれるのか……長く長く好きでいられますように。
願いを込めて。
[完]